2010年結成のバンド〈ヤロ・ミルコ&クバルカンニクス〉のバンド・リーダーであるヤロ・ミルコは、スイスのギタリスト、作曲家でシンガーソングライター。〈ヤロ・ミルコ&クバルカンニクス〉はそのバンド名のとおり、バルカン音楽とキューバ音楽とを融合させている。
チェコからの移民の息子としてヤロ・ミルコは1978年にバーセル市近郊のラインフェルデン町で生まれた。8歳のときからクラシックギターを学びはじめ、20歳になるまでスイスの有名なギタリスト、ウィリー・リーヒシュタイナーからギターの手解きを受けた後、数年間バーゼル音楽院でギタリストのフランスィス・コレッタのもとでジャズを学んだ。
13歳で最初のエレキギターを買ったヤロ・ミルコはその直後にパンクバンドを結成、そのバンドが発展したジミ・ヘンドリックスの曲をカバーするバンドが誕生した。ウィリー・リーヒシュタイナーのところで学んだ関係でキューバ音楽と出会い、その音楽から深い感銘を受けたヤロ・ミルコはもうその音楽から離れることができなくなった。パンク、ロック、ジャズとアヴァンギャルド音楽を経て、ヤロ・ミルコの音楽は結局のところ東南ヨーロッパ音楽に落ち着いた。
ジョン・ゾーンのレコード《ネイキッド・スィティ⁄異教徒》の影響を受けたヤロ・ミルコは、1999年からアヴァンギャルド・バンド〈ストレンジ・フルーツ(奇妙な果実)〉のメンバーになり、そこで知り合った友人たちと実験的なオリエンタルジャズのバンド〈ウォルフスクウィンテン〉を結成した。2001年にバルカン出身の音楽家グループ〈プレクムルスキー・カヴォボイチ〉が結成され、そのバンドでヤロ・ミルコは自らの東ヨーロッパのルーツを再発見、マヌーシュ(=スィンティ)系ロムのギタリスト、ジャンゴ・ラインハルトの素晴らしい音楽とも出会った。
もともと〈コップ・シュート・コップ〉の歌手でベース奏者だったトード・アシュリーが結成した国際色豊かな音楽グループ〈ファイヤーウォーター〉にヤロ・ミルコも2008年から参加し、そのバンドのツアーでヨーロッパ全土とアメリカ合衆国を巡った。
長めのキューバ旅行をしたヤロ・ミルコのキューバ音楽に対する愛情は最終的にそこで花開いた。スイスへ帰国後、活力にあふれるキューバ音楽とエネルギッシュな東ヨーロッパ音楽をどうにか結び付けられないだろうかと思案した結果、〈ヤロ・ミルコ&クバルカンニクス〉の誕生に漕ぎ着いた。容易にそのバンドメンバーは集まり、2014年4月にデビューアルバム《ツィガーロス・エクスポロシーヴォス(爆発物の葉巻)》がベルリンのアスファルト・タンゴというレーベルからリリースされた。ヤロ・ミルコ自身の雑多な音楽的体験、および彼とほかのバンドメンバーの音楽に対する異なる愛好心など、さまざまな音楽的要素が融合したそのアルバムは、まったく新しい様式の音楽を有機的に結びつけ、抗しがたい魅力あるグルーヴなサウンドを醸し出した。
自分たちの曲「スエルタ・ラ・リエンダ」を〈ヤロ・ミルコ&クバルカンニクス〉は2016年初頭にヴィデオとして発表した。バルカン・ビートとジプシー・パンクをこよなく愛すチューリッヒのDJロック・ジターノが編集した《パンデミック・ジターノ》というCDにその曲は収録された。
デビューアルバム発表から4年後、2018年11月に〈ヤロ・ミルコ&クバルカンニクス〉の2枚目のアルバム、《ツィヴォト(生命)》がスイスのヤシャ・レコードというレーベルからリリースされた。ヤロ・ミルコの多くの友人たちもゲストミュジシャンとしてこのアルバムで演奏している。《ツィヴォト》のアルバムをプロデュースしたのはトード・アシュリー。
その結成以来、〈ヤロ・ミルコ&クバルカンニクス〉はヨーロッパの各国で数え切れないほどたくさんのコンサートを開いたが、またとない素晴らしさのこのバンドのライヴショウは、その観客を熱狂させる。
Jaro Milko & The Cubalkanis on Spotify:
Text: Robert Lippuner / Global Music Network
Translation: Martin Kaneko